ユキコログ

1985年生まれ。2016年12月に1年間のカナダ・ビクトリアでのワーキングホリデーを終え、現在は中南米を気ままに旅行中。

『遠い夏、ぼくらは見ていた』自分が知らないうちに、誰かの心に自分の存在が深く残っていたとしたら?

こちらのWebサイトは移転しました。


ユキコログ

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photo credit: Day 177 via photopin (license)

画像はイメージです。(イメージですよ) 

 

最近は時間がたっぷりあるので、本を読む時間が増えました。自分の好きなことに時間が使えるのって本当に幸せです。

 

今日のブログは、先日読んだある小説のこと。

何だかすごく考え込んでしまった、とある作品のことをお話させてください。

 

『遠い夏、ぼくらは見ていた』

先日、友人からこんな本を借りました。

遠い夏、ぼくらは見ていた

遠い夏、ぼくらは見ていた

 
十五年前の夏のキャンプに参加した二十七歳の五人がキャンプ主催者の遺言執行人に集められた。当時ある行為をした者に遺産三十一億円を贈ると告げられる。行為の内容は伏せられたまま、五人にはキャンプの詳細を思い出すことが課せられた。莫大な金への欲に翻弄されながら、各々が遠い夏の日を手繰り寄せる……。人の記憶の暗部に迫るミステリー。

 

とある描写をぜひ読んで欲しいという友人からの言葉もあり、あえて事前情報は入れずに読んでみました。

ミステリーであることすら知らずに読んでみて、ざっと4時間ほどで読了。

 

冒頭は上記のあらすじ流れではじまります。

ある人物の莫大な遺産の存在を突如知らされ、しかもその相続は、自分を含め選ばれた5人の中でたったひとりしかできません。

この時点でかなり非現実的なお話だなぁ…と若干冷めてしまったんですが、5人の登場人物たちがなんだか妙にリアリティがあってついつい読み進めてしまいました。

 

遺産に対して冷めている人間。あわよくば…と考えてしまったり、その遺産の存在によって現在の人間関係に変化が起こる人もいます。最初から遺産を相続する気満々で、他者の邪魔をしたり懐柔しようとしたりする人も。

このお話は5人がそれぞれの目線からある同じ出来事(サマーキャンプの内容)を思い出そうとするんですが、それが本当にそれぞれバラバラなんです。

まさに、記憶というものは当人にとって都合よく残るものなんだな、ということが表現されています。

自分にはまったく覚えのないようなことも、誰かにとっては印象深い出来事であったり。

思わぬ形で心に刻み込まれているものだったりします。

 

ラストは思っていたものとは違う方向へ進みます。

正直キレイ過ぎるラストであると思いましたが、この辺の受け取り方は個人の好みかもしれないですね。

赦しというのは、人それぞれ様々なものですから。

 

自分の言葉、振る舞い、相手にどんな風に届いているのか

この本を読んで、そう思いました。

何気なく言った自分の言葉、相手にはどう届いているのだろうか。相手にとっても何気ない言葉として受け取られたかもしれないし、逆に深く傷つけた言葉だったかもしれない。

これってすごく怖いですよね。

自覚がないうちに、誰かの心にものすごい傷を残してるかも知れない。他人への影響力って結局のところ自分ではわからないものですから。

 

……なんて、それに対する自分の答えなんていつも決まっているんですけど。

わからないならどうするか。

そう、わからないからこそ考えても仕方がないというのが私の答え。

最低限の気遣いや相手の気持ちを想像することは大切だけど、それ以上の部分をどうこうしようなんて無理な話です。

じゃないとこんな風に、自分の考えを全世界に発信するようなブログなんてものを書いてません。

 

どこかの誰かの心に、傷をつけるかも。不快な思いをさせるかも。

配慮することは大事ですが、それで自分の気持ちを隠してしまうのは本末転倒。

わからないからこそ人間関係はおもしろいもの。それくらいの気持ちでいられたら、お互いに幸せなんじゃないでしょうか。

 

ちなみに友人がぜひ読んでほしいと言った描写についてなんですが…。

後日友人にこの小説の感想を伝えてみた時、いまいち内容がかみ合いませんでした。

そこで友人は、別の小説と間違えてこれを貸してくれたのだと気付きました。普段はしっかり者の友人の、意外で可愛らしい一面が見れました。